・映画の美術面 10/10 ベトナムの先のカンボジアでカーツ大佐は、これまで米軍の作戦に従事していたのだが、 華々しい経歴を持つカーツが狂ってしまった経緯についてとても惹かれるのだった。, ウィラード大尉はジョージ・フィリップス曹長が指揮する 『地獄の黙示録』(じごくのもくしろく、原題:Apocalypse Now )は、1979年公開のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラによる戦争映画。ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作に、物語の舞台をベトナム戦争に移して翻案した叙事詩的映画(エピックフィルム)。, 1979年度のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得。アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。それ以外にもゴールデングローブ賞の監督賞と助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞、英国アカデミー賞の監督賞と助演男優賞などを受賞している。, 日本では1980年(昭和55年)2月23日に公開された。2001年に、コッポラ自身の再編集による『特別完全版』(英語版)が公開された。2019年4月28日、公開40周年を記念してトライベッカ映画祭において『地獄の黙示録 ファイナル・カット』(Apocalypse Now Final Cut)が上映された[3]。このバージョンは同年8月15日にアメリカの劇場で一般公開され、8月27日にはホームメディアが発売された[4]。, 1969年、ベトナム戦争後期。アメリカ陸軍空挺将校のウィラード大尉は、妻と離婚してまで再び戦場に戻ってきた。彼は、MACV-SOGの一員として、CIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事してきた経験が豊富だった。その実績を買われ、サイゴンのホテル滞在中にアメリカ軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺指令を受ける。カーツは、アメリカ軍の命令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。, ウィラードは海軍の河川哨戒艇に乗り込み、乗組員に目的地を知らせぬまま大河を遡行する。そして一行は戦争の狂気を目の当たりにする。サーフィンをするために、ベトコンの前哨基地を襲撃する第一騎兵師団の指揮官。ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ。指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士。そして、麻薬に溺れ、正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。やがてカーツの王国に近づくにつれて、ウィラード自身も少しずつ心の平衡を保てなくなってゆく。, 哨戒艇の乗組員を何人も失いながらも、何とか王国にたどり着いたウィラードは、王国の支配者カーツと邂逅し、その思想や言動に動揺する。一時は監禁されたものの、改めて自由を与えられたウィラードは、水牛を生贄にする祭りの夜にカーツの暗殺を決行する。, 作品序盤におけるウィラードの独白から、本作品は、ウィラードの任務での体験とカーツに纏わる物語を紡いだ構成となっている。, 映画の原案は、1902年に出版されたジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』(原題:Heart of Darkness )である。当初は、1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが共同で進めていた企画であった。しかし、当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。後にルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するにあたり、作品の権利をフランシス・フォード・コッポラに譲り渡したのが始まりである。, コッポラは映画化にあたり、『闇の奥』以外にもさまざまな作品をモチーフにした。映画中でT・S・エリオットの『荒地』(原題:The Waste Land )や『うつろな人間たち』(原題:The Hollow Men )の一節が引用されたり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(原題:The Golden Bough )から「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用[5] されるなど、黙示録的・神話的イメージが描かれている。この他、監督の妻エレノアの回想録によると、コッポラは撮影の合間、しばしば三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取り、本作品の構想を膨らませたという。, コッポラは、映画の製作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していた。しかし、契約の関係で実現には至らず、結局監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。このあたりの事情は、『地獄の黙示録 特別完全版』 サウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている[6]。, ウィラード大尉は、当初ハーヴェイ・カイテルが演じる予定だったが、撮影開始2週間で契約のトラブルが原因[7] で降板した。これ以降、カイテルはハリウッドを干され、インディペンデント映画中心に活躍することになる。その後、ハリソン・フォードの起用も検討されたが、『スター・ウォーズ』の撮影との関係により、最終的にマーティン・シーンに落ち着いた。なおフォードは、撮影の見学に来たときに端役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっている。, 報道班ディレクターとしてフランシス・フォード・コッポラが、報道班カメラマンとしてヴィットリオ・ストラーロがカメオ出演している。また、ヘリコプターの操縦手をベトナム戦争で従軍経験があるR・リー・アーメイが演じている。, 「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」役は、実際の1974年プレイメイト・オブ・ザ・イヤーであるシンシア・ウッド(英語版)、「ミス8月」役は実際の1976年8月プレイメイトであるリンダ・ビーティ(英語版)である。また、「ミス5月」役のコリーン・キャンプは、映画封切り後に1979年10月の『PLAYBOY』誌で写真を発表した。彼女らプレイメイトによる慰問公演の司会者は、1960年代からロック音楽のプロモーターとして活躍していたビル・グレアム(英語版)が演じている。, ロケは、アメリカ合衆国とベトナム社会主義共和国との国交がないため、フィリピン共和国の熱帯雨林で行われた。また、アメリカ合衆国軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは、全てフィリピン軍の協力に拠った。しかし、当時のフィリピンは、フィリピン共産党ゲリラ「新人民軍」との内戦や南部イスラム教住民「モロ民族解放戦線」の反乱に直面していたため、実戦出動によって、ヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れることもしばしばであった。, 途中、フィリピンを襲った台風によりセットが全て崩壊したことも撮影スケジュールの遅延に影響した。この時の台風の模様は撮影され、ストーリー上急遽役割が与えられた。フランス人入植者たちのエピソードのように、莫大な費用と期間を掛けて細部まで拘りぬいた撮影が行われたものの、劇場公開版からは最終的に削除されてしまったシーンも数多く発生した。以上のような要因で、映画の撮影期間は予定を超えてどんどん延びていった。, コッポラは、キャスティング面でも多くの困難に対処する必要に迫られた。当初ウィラード大尉を演じる予定であったハーヴェイ・カイテルは、撮影開始2週間で降板し、新たに起用されたマーティン・シーンも、撮影途中の1977年3月5日に心臓麻痺で倒れ、一時生死の境をさまようほどの状態になってしまった[8]。報道写真家役のデニス・ホッパーは、麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。, 出演者のサム・ボトムズによると、撮影中、麻薬中毒兵士の役づくりのため、実際にマリファナやLSDを使っていたという。すると次第にスタッフも使い始め、橋での撮影は夜間撮影だったので、興奮剤のスピードを使っていたという。, それ以外にも、主演のマーロン・ブランドが撮影当時極度に肥満していたため、物語の設定を一部変更する必要が生じたこともあった[9]。また、ブランドは、キャスティングや脚本に対して自己中心的な主張をすることも多く(役作りにより体から強烈な臭いを発していたデニス・ホッパーと一緒に撮影されることを拒否した)、遂には監督であるコッポラが心労で倒れる事態にまで陥ってしまう。トラブルは以降も続いたため、ストーリーも大きく変更され、後に脚本担当のジョン・ミリアスが不快感を表明するに至る。, マーティンは、拳で鏡台を叩き割るシーンで、切傷を負って流血した。これは、台本にない完全な事故であったが、本人がそのまま撮影を続行するようにスタッフを促し、本編においてドアーズの「ジ・エンド」がBGMとして流れる場面に使用された。, 制作発表時、ベトナム戦争やアメリカ及びアメリカ軍を批判的に扱った最初の映画として物議を醸したが、スケジュールの遅延やキャスティング面でのトラブル、コッポラの完璧主義によって、撮影と編集が異常に長引いてしまった。撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月から1977年5月)にも延び、編集にも2年余りの時間が掛けられた。同様にベトナム戦争を題材にし、この映画の後から制作が始まった『ディア・ハンター』の方が先に公開されたほどである。, 撮影終了後の1978年1月、制作会社のゾエトロープ社は作家のマイケル・ハーに電話し、ハーの『ディスパッチズ』(1977年)に基づいたナレーションを書いてもらうよう依頼した。ハーは、自著に書かれた言葉など「まったく使い物にならない」と答え、それからコッポラと共に1年かけて最終稿を完成させた[9][10]。, 映画の完成が遅れるに伴って、映画の制作費も当初の予定を大幅に上回る結果となった。最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際に掛かったのは3100万ドル(約90億円)だった。そのうち、1600万ドル(約46億円)は、ユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は、日本の配給元でもある日本ヘラルドから支援されたともいわれる。, コッポラの妻エレノア・コッポラは、後に撮影手記『ノーツ - コッポラの黙示録』を出版した。また、彼女が撮影の舞台裏を撮影したビデオや録音テープにスタッフ、キャストへのインタビューを加えたドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse )が1991年11月に公開された。当時の制作現場が、いかに「戦場」のようであったかが窺える記録映画となっている。, 北米で一般公開されたのは同年の8月15日である。映画製作中には様々な困難があったにもかかわらず、公開後全世界で大ヒットを記録し、巨額の制作費を無事回収することが出来た。1979年のカンヌ国際映画祭で未完成のまま出品され、『ブリキの太鼓』と共に映画祭の最高賞に相当するパルム・ドールを獲得した。授賞式の会場では、審査委員会の判断を批判するブーイングもあったという[11]。批評家たちからは映画の内容を巡って様々な評価が下された(詳細は後述)。, 2001年には、53分の未公開シーンが追加された『地獄の黙示録 特別完全版』(原題:Apocalypse Now Redux )が公開された。この特別完全版では、台風により不時着したヘリコプターと、それに乗っていたプレイメイト達の幕間劇、フランス人入植者たちとの交流のエピソードなども復元された。解説的なナレーションが増えたわけでは無いが、全体的にアメリカ合衆国の偽善や欺瞞を告発するような場面が増え、初公開版とは大きく印象が異なるものとなった。例えばフランス人入植者たちとの会食の席で、ウィラードが「ベトコンを創り出したのはアメリカ人」とその由来を知らされ、愕然とするシーンなどである。, 特別完全版のプレミアは初公開時同様、カンヌ国際映画祭で行われた。特別完全版の公開に時を同じくして、アメリカ合衆国はターリバーン勢力の殲滅を名目に、アフガニスタン侵攻を開始。ターリバーンの母体となったムジャーヒディーンを、冷戦中にアメリカ合衆国が支援していたといった事情を考慮し、日本の配給会社によって「コッポラは『地獄の黙示録』でアメリカ同時多発テロ事件を予見していた」という根拠のない内容の宣伝もされた。, なお、特別完全版の日本版予告編でのキャッチコピーは「これはコッポラが産んだ生きものだ」「本物にして最後の映画。アメリカ映画史上最高の傑作。」「戦争。アメリカ。」である。, 『地獄の黙示録』は、公開直後から映画に対する賛否両論が噴出した[11]。映画評論家たちの間では、「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。作品としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ人に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」と結論付けた[要出典]。また、立花隆は、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいると述べた[12]。, 公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという村上春樹は、評論『同時代としてのアメリカ』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」[13], 映画の冒頭は、ドアーズの「ジ・エンド」をBGMに、ベトナム戦争を象徴する兵器であるナパーム弾が全てを焼き払うかのような映像シーンである。そして、ウィラードがカーツ殺しに至るシーンで流れているのも、やはり「ジ・エンド」である[14]。この他にも、キルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの「ワルキューレの騎行」をオープンリールで鳴らしながら、9機の武装したUH-1ヘリが、南ベトナム解放民族戦線の拠点であるベトナムの村落を攻撃していくシーンなど、さまざまな意味で話題となったシーンは多い。また、既存の文学作品や映画作品からモチーフを借りた場面も多く、これらのシーンについて、多様な解釈が公開当時から行われていた[15]。, 映画中では、アメリカ側におけるベトナム戦争のいい加減さを強調し、歴代アメリカ合衆国大統領(ジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソン)により拡大した、ベトナム戦争に対するアメリカ合衆国連邦政府への批判がみられる。例えば、サーフィンをするためにベトナムの村落を焼き払うヘリ部隊の指揮官、指揮官不在で戦闘をする部隊といった描写である。上記のように、本作品は、ベトナム戦争の暴力や狂気を強調し、アメリカ合衆国のベトナム戦争への加担を暗に批判したという点で評価される面がある。その反面、戦争の暴力や狂気をテーマとしながら、それらを視覚的に美しく描くことに成功しているという評価もなされている[16]。, 公開当時は否定的な意見も多かったが、現在ではアメリカ映画史上重要な地位を占める作品であると概ね肯定的に評価されている。1998年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ『アメリカ映画ベスト100』中第28位、2007年に更新された『アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)』中第30位にランクインした。2000年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。IMDbによる人気投票でも上位にランクインされている[17]。また、キルゴア中佐の台詞である「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」("I love the smell of napalm, in the morning.

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・映画の美術面 10/10 ベトナムの先のカンボジアでカーツ大佐は、これまで米軍の作戦に従事していたのだが、 華々しい経歴を持つカーツが狂ってしまった経緯についてとても惹かれるのだった。, ウィラード大尉はジョージ・フィリップス曹長が指揮する 『地獄の黙示録』(じごくのもくしろく、原題:Apocalypse Now )は、1979年公開のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラによる戦争映画。ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作に、物語の舞台をベトナム戦争に移して翻案した叙事詩的映画(エピックフィルム)。, 1979年度のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得。アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。それ以外にもゴールデングローブ賞の監督賞と助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞、英国アカデミー賞の監督賞と助演男優賞などを受賞している。, 日本では1980年(昭和55年)2月23日に公開された。2001年に、コッポラ自身の再編集による『特別完全版』(英語版)が公開された。2019年4月28日、公開40周年を記念してトライベッカ映画祭において『地獄の黙示録 ファイナル・カット』(Apocalypse Now Final Cut)が上映された[3]。このバージョンは同年8月15日にアメリカの劇場で一般公開され、8月27日にはホームメディアが発売された[4]。, 1969年、ベトナム戦争後期。アメリカ陸軍空挺将校のウィラード大尉は、妻と離婚してまで再び戦場に戻ってきた。彼は、MACV-SOGの一員として、CIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事してきた経験が豊富だった。その実績を買われ、サイゴンのホテル滞在中にアメリカ軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺指令を受ける。カーツは、アメリカ軍の命令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。, ウィラードは海軍の河川哨戒艇に乗り込み、乗組員に目的地を知らせぬまま大河を遡行する。そして一行は戦争の狂気を目の当たりにする。サーフィンをするために、ベトコンの前哨基地を襲撃する第一騎兵師団の指揮官。ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ。指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士。そして、麻薬に溺れ、正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。やがてカーツの王国に近づくにつれて、ウィラード自身も少しずつ心の平衡を保てなくなってゆく。, 哨戒艇の乗組員を何人も失いながらも、何とか王国にたどり着いたウィラードは、王国の支配者カーツと邂逅し、その思想や言動に動揺する。一時は監禁されたものの、改めて自由を与えられたウィラードは、水牛を生贄にする祭りの夜にカーツの暗殺を決行する。, 作品序盤におけるウィラードの独白から、本作品は、ウィラードの任務での体験とカーツに纏わる物語を紡いだ構成となっている。, 映画の原案は、1902年に出版されたジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』(原題:Heart of Darkness )である。当初は、1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが共同で進めていた企画であった。しかし、当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。後にルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するにあたり、作品の権利をフランシス・フォード・コッポラに譲り渡したのが始まりである。, コッポラは映画化にあたり、『闇の奥』以外にもさまざまな作品をモチーフにした。映画中でT・S・エリオットの『荒地』(原題:The Waste Land )や『うつろな人間たち』(原題:The Hollow Men )の一節が引用されたり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(原題:The Golden Bough )から「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用[5] されるなど、黙示録的・神話的イメージが描かれている。この他、監督の妻エレノアの回想録によると、コッポラは撮影の合間、しばしば三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取り、本作品の構想を膨らませたという。, コッポラは、映画の製作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していた。しかし、契約の関係で実現には至らず、結局監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。このあたりの事情は、『地獄の黙示録 特別完全版』 サウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている[6]。, ウィラード大尉は、当初ハーヴェイ・カイテルが演じる予定だったが、撮影開始2週間で契約のトラブルが原因[7] で降板した。これ以降、カイテルはハリウッドを干され、インディペンデント映画中心に活躍することになる。その後、ハリソン・フォードの起用も検討されたが、『スター・ウォーズ』の撮影との関係により、最終的にマーティン・シーンに落ち着いた。なおフォードは、撮影の見学に来たときに端役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっている。, 報道班ディレクターとしてフランシス・フォード・コッポラが、報道班カメラマンとしてヴィットリオ・ストラーロがカメオ出演している。また、ヘリコプターの操縦手をベトナム戦争で従軍経験があるR・リー・アーメイが演じている。, 「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」役は、実際の1974年プレイメイト・オブ・ザ・イヤーであるシンシア・ウッド(英語版)、「ミス8月」役は実際の1976年8月プレイメイトであるリンダ・ビーティ(英語版)である。また、「ミス5月」役のコリーン・キャンプは、映画封切り後に1979年10月の『PLAYBOY』誌で写真を発表した。彼女らプレイメイトによる慰問公演の司会者は、1960年代からロック音楽のプロモーターとして活躍していたビル・グレアム(英語版)が演じている。, ロケは、アメリカ合衆国とベトナム社会主義共和国との国交がないため、フィリピン共和国の熱帯雨林で行われた。また、アメリカ合衆国軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは、全てフィリピン軍の協力に拠った。しかし、当時のフィリピンは、フィリピン共産党ゲリラ「新人民軍」との内戦や南部イスラム教住民「モロ民族解放戦線」の反乱に直面していたため、実戦出動によって、ヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れることもしばしばであった。, 途中、フィリピンを襲った台風によりセットが全て崩壊したことも撮影スケジュールの遅延に影響した。この時の台風の模様は撮影され、ストーリー上急遽役割が与えられた。フランス人入植者たちのエピソードのように、莫大な費用と期間を掛けて細部まで拘りぬいた撮影が行われたものの、劇場公開版からは最終的に削除されてしまったシーンも数多く発生した。以上のような要因で、映画の撮影期間は予定を超えてどんどん延びていった。, コッポラは、キャスティング面でも多くの困難に対処する必要に迫られた。当初ウィラード大尉を演じる予定であったハーヴェイ・カイテルは、撮影開始2週間で降板し、新たに起用されたマーティン・シーンも、撮影途中の1977年3月5日に心臓麻痺で倒れ、一時生死の境をさまようほどの状態になってしまった[8]。報道写真家役のデニス・ホッパーは、麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。, 出演者のサム・ボトムズによると、撮影中、麻薬中毒兵士の役づくりのため、実際にマリファナやLSDを使っていたという。すると次第にスタッフも使い始め、橋での撮影は夜間撮影だったので、興奮剤のスピードを使っていたという。, それ以外にも、主演のマーロン・ブランドが撮影当時極度に肥満していたため、物語の設定を一部変更する必要が生じたこともあった[9]。また、ブランドは、キャスティングや脚本に対して自己中心的な主張をすることも多く(役作りにより体から強烈な臭いを発していたデニス・ホッパーと一緒に撮影されることを拒否した)、遂には監督であるコッポラが心労で倒れる事態にまで陥ってしまう。トラブルは以降も続いたため、ストーリーも大きく変更され、後に脚本担当のジョン・ミリアスが不快感を表明するに至る。, マーティンは、拳で鏡台を叩き割るシーンで、切傷を負って流血した。これは、台本にない完全な事故であったが、本人がそのまま撮影を続行するようにスタッフを促し、本編においてドアーズの「ジ・エンド」がBGMとして流れる場面に使用された。, 制作発表時、ベトナム戦争やアメリカ及びアメリカ軍を批判的に扱った最初の映画として物議を醸したが、スケジュールの遅延やキャスティング面でのトラブル、コッポラの完璧主義によって、撮影と編集が異常に長引いてしまった。撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月から1977年5月)にも延び、編集にも2年余りの時間が掛けられた。同様にベトナム戦争を題材にし、この映画の後から制作が始まった『ディア・ハンター』の方が先に公開されたほどである。, 撮影終了後の1978年1月、制作会社のゾエトロープ社は作家のマイケル・ハーに電話し、ハーの『ディスパッチズ』(1977年)に基づいたナレーションを書いてもらうよう依頼した。ハーは、自著に書かれた言葉など「まったく使い物にならない」と答え、それからコッポラと共に1年かけて最終稿を完成させた[9][10]。, 映画の完成が遅れるに伴って、映画の制作費も当初の予定を大幅に上回る結果となった。最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際に掛かったのは3100万ドル(約90億円)だった。そのうち、1600万ドル(約46億円)は、ユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は、日本の配給元でもある日本ヘラルドから支援されたともいわれる。, コッポラの妻エレノア・コッポラは、後に撮影手記『ノーツ - コッポラの黙示録』を出版した。また、彼女が撮影の舞台裏を撮影したビデオや録音テープにスタッフ、キャストへのインタビューを加えたドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse )が1991年11月に公開された。当時の制作現場が、いかに「戦場」のようであったかが窺える記録映画となっている。, 北米で一般公開されたのは同年の8月15日である。映画製作中には様々な困難があったにもかかわらず、公開後全世界で大ヒットを記録し、巨額の制作費を無事回収することが出来た。1979年のカンヌ国際映画祭で未完成のまま出品され、『ブリキの太鼓』と共に映画祭の最高賞に相当するパルム・ドールを獲得した。授賞式の会場では、審査委員会の判断を批判するブーイングもあったという[11]。批評家たちからは映画の内容を巡って様々な評価が下された(詳細は後述)。, 2001年には、53分の未公開シーンが追加された『地獄の黙示録 特別完全版』(原題:Apocalypse Now Redux )が公開された。この特別完全版では、台風により不時着したヘリコプターと、それに乗っていたプレイメイト達の幕間劇、フランス人入植者たちとの交流のエピソードなども復元された。解説的なナレーションが増えたわけでは無いが、全体的にアメリカ合衆国の偽善や欺瞞を告発するような場面が増え、初公開版とは大きく印象が異なるものとなった。例えばフランス人入植者たちとの会食の席で、ウィラードが「ベトコンを創り出したのはアメリカ人」とその由来を知らされ、愕然とするシーンなどである。, 特別完全版のプレミアは初公開時同様、カンヌ国際映画祭で行われた。特別完全版の公開に時を同じくして、アメリカ合衆国はターリバーン勢力の殲滅を名目に、アフガニスタン侵攻を開始。ターリバーンの母体となったムジャーヒディーンを、冷戦中にアメリカ合衆国が支援していたといった事情を考慮し、日本の配給会社によって「コッポラは『地獄の黙示録』でアメリカ同時多発テロ事件を予見していた」という根拠のない内容の宣伝もされた。, なお、特別完全版の日本版予告編でのキャッチコピーは「これはコッポラが産んだ生きものだ」「本物にして最後の映画。アメリカ映画史上最高の傑作。」「戦争。アメリカ。」である。, 『地獄の黙示録』は、公開直後から映画に対する賛否両論が噴出した[11]。映画評論家たちの間では、「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。作品としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ人に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」と結論付けた[要出典]。また、立花隆は、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいると述べた[12]。, 公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという村上春樹は、評論『同時代としてのアメリカ』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」[13], 映画の冒頭は、ドアーズの「ジ・エンド」をBGMに、ベトナム戦争を象徴する兵器であるナパーム弾が全てを焼き払うかのような映像シーンである。そして、ウィラードがカーツ殺しに至るシーンで流れているのも、やはり「ジ・エンド」である[14]。この他にも、キルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの「ワルキューレの騎行」をオープンリールで鳴らしながら、9機の武装したUH-1ヘリが、南ベトナム解放民族戦線の拠点であるベトナムの村落を攻撃していくシーンなど、さまざまな意味で話題となったシーンは多い。また、既存の文学作品や映画作品からモチーフを借りた場面も多く、これらのシーンについて、多様な解釈が公開当時から行われていた[15]。, 映画中では、アメリカ側におけるベトナム戦争のいい加減さを強調し、歴代アメリカ合衆国大統領(ジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソン)により拡大した、ベトナム戦争に対するアメリカ合衆国連邦政府への批判がみられる。例えば、サーフィンをするためにベトナムの村落を焼き払うヘリ部隊の指揮官、指揮官不在で戦闘をする部隊といった描写である。上記のように、本作品は、ベトナム戦争の暴力や狂気を強調し、アメリカ合衆国のベトナム戦争への加担を暗に批判したという点で評価される面がある。その反面、戦争の暴力や狂気をテーマとしながら、それらを視覚的に美しく描くことに成功しているという評価もなされている[16]。, 公開当時は否定的な意見も多かったが、現在ではアメリカ映画史上重要な地位を占める作品であると概ね肯定的に評価されている。1998年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ『アメリカ映画ベスト100』中第28位、2007年に更新された『アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)』中第30位にランクインした。2000年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。IMDbによる人気投票でも上位にランクインされている[17]。また、キルゴア中佐の台詞である「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」("I love the smell of napalm, in the morning.

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・映画の美術面 10/10 ベトナムの先のカンボジアでカーツ大佐は、これまで米軍の作戦に従事していたのだが、 華々しい経歴を持つカーツが狂ってしまった経緯についてとても惹かれるのだった。, ウィラード大尉はジョージ・フィリップス曹長が指揮する 『地獄の黙示録』(じごくのもくしろく、原題:Apocalypse Now )は、1979年公開のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラによる戦争映画。ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作に、物語の舞台をベトナム戦争に移して翻案した叙事詩的映画(エピックフィルム)。, 1979年度のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得。アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。それ以外にもゴールデングローブ賞の監督賞と助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞、英国アカデミー賞の監督賞と助演男優賞などを受賞している。, 日本では1980年(昭和55年)2月23日に公開された。2001年に、コッポラ自身の再編集による『特別完全版』(英語版)が公開された。2019年4月28日、公開40周年を記念してトライベッカ映画祭において『地獄の黙示録 ファイナル・カット』(Apocalypse Now Final Cut)が上映された[3]。このバージョンは同年8月15日にアメリカの劇場で一般公開され、8月27日にはホームメディアが発売された[4]。, 1969年、ベトナム戦争後期。アメリカ陸軍空挺将校のウィラード大尉は、妻と離婚してまで再び戦場に戻ってきた。彼は、MACV-SOGの一員として、CIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事してきた経験が豊富だった。その実績を買われ、サイゴンのホテル滞在中にアメリカ軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺指令を受ける。カーツは、アメリカ軍の命令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。, ウィラードは海軍の河川哨戒艇に乗り込み、乗組員に目的地を知らせぬまま大河を遡行する。そして一行は戦争の狂気を目の当たりにする。サーフィンをするために、ベトコンの前哨基地を襲撃する第一騎兵師団の指揮官。ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ。指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士。そして、麻薬に溺れ、正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。やがてカーツの王国に近づくにつれて、ウィラード自身も少しずつ心の平衡を保てなくなってゆく。, 哨戒艇の乗組員を何人も失いながらも、何とか王国にたどり着いたウィラードは、王国の支配者カーツと邂逅し、その思想や言動に動揺する。一時は監禁されたものの、改めて自由を与えられたウィラードは、水牛を生贄にする祭りの夜にカーツの暗殺を決行する。, 作品序盤におけるウィラードの独白から、本作品は、ウィラードの任務での体験とカーツに纏わる物語を紡いだ構成となっている。, 映画の原案は、1902年に出版されたジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』(原題:Heart of Darkness )である。当初は、1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが共同で進めていた企画であった。しかし、当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。後にルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するにあたり、作品の権利をフランシス・フォード・コッポラに譲り渡したのが始まりである。, コッポラは映画化にあたり、『闇の奥』以外にもさまざまな作品をモチーフにした。映画中でT・S・エリオットの『荒地』(原題:The Waste Land )や『うつろな人間たち』(原題:The Hollow Men )の一節が引用されたり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(原題:The Golden Bough )から「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用[5] されるなど、黙示録的・神話的イメージが描かれている。この他、監督の妻エレノアの回想録によると、コッポラは撮影の合間、しばしば三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取り、本作品の構想を膨らませたという。, コッポラは、映画の製作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していた。しかし、契約の関係で実現には至らず、結局監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。このあたりの事情は、『地獄の黙示録 特別完全版』 サウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている[6]。, ウィラード大尉は、当初ハーヴェイ・カイテルが演じる予定だったが、撮影開始2週間で契約のトラブルが原因[7] で降板した。これ以降、カイテルはハリウッドを干され、インディペンデント映画中心に活躍することになる。その後、ハリソン・フォードの起用も検討されたが、『スター・ウォーズ』の撮影との関係により、最終的にマーティン・シーンに落ち着いた。なおフォードは、撮影の見学に来たときに端役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっている。, 報道班ディレクターとしてフランシス・フォード・コッポラが、報道班カメラマンとしてヴィットリオ・ストラーロがカメオ出演している。また、ヘリコプターの操縦手をベトナム戦争で従軍経験があるR・リー・アーメイが演じている。, 「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」役は、実際の1974年プレイメイト・オブ・ザ・イヤーであるシンシア・ウッド(英語版)、「ミス8月」役は実際の1976年8月プレイメイトであるリンダ・ビーティ(英語版)である。また、「ミス5月」役のコリーン・キャンプは、映画封切り後に1979年10月の『PLAYBOY』誌で写真を発表した。彼女らプレイメイトによる慰問公演の司会者は、1960年代からロック音楽のプロモーターとして活躍していたビル・グレアム(英語版)が演じている。, ロケは、アメリカ合衆国とベトナム社会主義共和国との国交がないため、フィリピン共和国の熱帯雨林で行われた。また、アメリカ合衆国軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは、全てフィリピン軍の協力に拠った。しかし、当時のフィリピンは、フィリピン共産党ゲリラ「新人民軍」との内戦や南部イスラム教住民「モロ民族解放戦線」の反乱に直面していたため、実戦出動によって、ヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れることもしばしばであった。, 途中、フィリピンを襲った台風によりセットが全て崩壊したことも撮影スケジュールの遅延に影響した。この時の台風の模様は撮影され、ストーリー上急遽役割が与えられた。フランス人入植者たちのエピソードのように、莫大な費用と期間を掛けて細部まで拘りぬいた撮影が行われたものの、劇場公開版からは最終的に削除されてしまったシーンも数多く発生した。以上のような要因で、映画の撮影期間は予定を超えてどんどん延びていった。, コッポラは、キャスティング面でも多くの困難に対処する必要に迫られた。当初ウィラード大尉を演じる予定であったハーヴェイ・カイテルは、撮影開始2週間で降板し、新たに起用されたマーティン・シーンも、撮影途中の1977年3月5日に心臓麻痺で倒れ、一時生死の境をさまようほどの状態になってしまった[8]。報道写真家役のデニス・ホッパーは、麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。, 出演者のサム・ボトムズによると、撮影中、麻薬中毒兵士の役づくりのため、実際にマリファナやLSDを使っていたという。すると次第にスタッフも使い始め、橋での撮影は夜間撮影だったので、興奮剤のスピードを使っていたという。, それ以外にも、主演のマーロン・ブランドが撮影当時極度に肥満していたため、物語の設定を一部変更する必要が生じたこともあった[9]。また、ブランドは、キャスティングや脚本に対して自己中心的な主張をすることも多く(役作りにより体から強烈な臭いを発していたデニス・ホッパーと一緒に撮影されることを拒否した)、遂には監督であるコッポラが心労で倒れる事態にまで陥ってしまう。トラブルは以降も続いたため、ストーリーも大きく変更され、後に脚本担当のジョン・ミリアスが不快感を表明するに至る。, マーティンは、拳で鏡台を叩き割るシーンで、切傷を負って流血した。これは、台本にない完全な事故であったが、本人がそのまま撮影を続行するようにスタッフを促し、本編においてドアーズの「ジ・エンド」がBGMとして流れる場面に使用された。, 制作発表時、ベトナム戦争やアメリカ及びアメリカ軍を批判的に扱った最初の映画として物議を醸したが、スケジュールの遅延やキャスティング面でのトラブル、コッポラの完璧主義によって、撮影と編集が異常に長引いてしまった。撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月から1977年5月)にも延び、編集にも2年余りの時間が掛けられた。同様にベトナム戦争を題材にし、この映画の後から制作が始まった『ディア・ハンター』の方が先に公開されたほどである。, 撮影終了後の1978年1月、制作会社のゾエトロープ社は作家のマイケル・ハーに電話し、ハーの『ディスパッチズ』(1977年)に基づいたナレーションを書いてもらうよう依頼した。ハーは、自著に書かれた言葉など「まったく使い物にならない」と答え、それからコッポラと共に1年かけて最終稿を完成させた[9][10]。, 映画の完成が遅れるに伴って、映画の制作費も当初の予定を大幅に上回る結果となった。最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際に掛かったのは3100万ドル(約90億円)だった。そのうち、1600万ドル(約46億円)は、ユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は、日本の配給元でもある日本ヘラルドから支援されたともいわれる。, コッポラの妻エレノア・コッポラは、後に撮影手記『ノーツ - コッポラの黙示録』を出版した。また、彼女が撮影の舞台裏を撮影したビデオや録音テープにスタッフ、キャストへのインタビューを加えたドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse )が1991年11月に公開された。当時の制作現場が、いかに「戦場」のようであったかが窺える記録映画となっている。, 北米で一般公開されたのは同年の8月15日である。映画製作中には様々な困難があったにもかかわらず、公開後全世界で大ヒットを記録し、巨額の制作費を無事回収することが出来た。1979年のカンヌ国際映画祭で未完成のまま出品され、『ブリキの太鼓』と共に映画祭の最高賞に相当するパルム・ドールを獲得した。授賞式の会場では、審査委員会の判断を批判するブーイングもあったという[11]。批評家たちからは映画の内容を巡って様々な評価が下された(詳細は後述)。, 2001年には、53分の未公開シーンが追加された『地獄の黙示録 特別完全版』(原題:Apocalypse Now Redux )が公開された。この特別完全版では、台風により不時着したヘリコプターと、それに乗っていたプレイメイト達の幕間劇、フランス人入植者たちとの交流のエピソードなども復元された。解説的なナレーションが増えたわけでは無いが、全体的にアメリカ合衆国の偽善や欺瞞を告発するような場面が増え、初公開版とは大きく印象が異なるものとなった。例えばフランス人入植者たちとの会食の席で、ウィラードが「ベトコンを創り出したのはアメリカ人」とその由来を知らされ、愕然とするシーンなどである。, 特別完全版のプレミアは初公開時同様、カンヌ国際映画祭で行われた。特別完全版の公開に時を同じくして、アメリカ合衆国はターリバーン勢力の殲滅を名目に、アフガニスタン侵攻を開始。ターリバーンの母体となったムジャーヒディーンを、冷戦中にアメリカ合衆国が支援していたといった事情を考慮し、日本の配給会社によって「コッポラは『地獄の黙示録』でアメリカ同時多発テロ事件を予見していた」という根拠のない内容の宣伝もされた。, なお、特別完全版の日本版予告編でのキャッチコピーは「これはコッポラが産んだ生きものだ」「本物にして最後の映画。アメリカ映画史上最高の傑作。」「戦争。アメリカ。」である。, 『地獄の黙示録』は、公開直後から映画に対する賛否両論が噴出した[11]。映画評論家たちの間では、「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。作品としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ人に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」と結論付けた[要出典]。また、立花隆は、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいると述べた[12]。, 公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという村上春樹は、評論『同時代としてのアメリカ』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」[13], 映画の冒頭は、ドアーズの「ジ・エンド」をBGMに、ベトナム戦争を象徴する兵器であるナパーム弾が全てを焼き払うかのような映像シーンである。そして、ウィラードがカーツ殺しに至るシーンで流れているのも、やはり「ジ・エンド」である[14]。この他にも、キルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの「ワルキューレの騎行」をオープンリールで鳴らしながら、9機の武装したUH-1ヘリが、南ベトナム解放民族戦線の拠点であるベトナムの村落を攻撃していくシーンなど、さまざまな意味で話題となったシーンは多い。また、既存の文学作品や映画作品からモチーフを借りた場面も多く、これらのシーンについて、多様な解釈が公開当時から行われていた[15]。, 映画中では、アメリカ側におけるベトナム戦争のいい加減さを強調し、歴代アメリカ合衆国大統領(ジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソン)により拡大した、ベトナム戦争に対するアメリカ合衆国連邦政府への批判がみられる。例えば、サーフィンをするためにベトナムの村落を焼き払うヘリ部隊の指揮官、指揮官不在で戦闘をする部隊といった描写である。上記のように、本作品は、ベトナム戦争の暴力や狂気を強調し、アメリカ合衆国のベトナム戦争への加担を暗に批判したという点で評価される面がある。その反面、戦争の暴力や狂気をテーマとしながら、それらを視覚的に美しく描くことに成功しているという評価もなされている[16]。, 公開当時は否定的な意見も多かったが、現在ではアメリカ映画史上重要な地位を占める作品であると概ね肯定的に評価されている。1998年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ『アメリカ映画ベスト100』中第28位、2007年に更新された『アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)』中第30位にランクインした。2000年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。IMDbによる人気投票でも上位にランクインされている[17]。また、キルゴア中佐の台詞である「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」("I love the smell of napalm, in the morning.

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彼は精神を病んでいるPTSDとも言える。 ・ゴッドファーザー カーツ大佐はそれそのものだったと気づいたウィラードは そういう淡さがある分、『シャイニング』よりも解像度部分においては微妙かもしれない。, また日本版UHDは何故か今作ファイナル・カット版のみしか収録されておらず、

©Copyright2020 『A Little his REDEMPTION.』.All Rights Reserved. 【キャスト】 老け顔のデカパナのクソメガネが既視感と思ったらハリソン・フォードだった。 ID: uIqnnveKrj, 2019/11/22(金) 13:05:53 『フォレスト・ガンプ』 汚れ仕事をこれまでも多数行なってきたウィラード大尉は喜んで受託するが、 ")は、AFIによる『アメリカ映画の名セリフベスト100』中第12位に選ばれている。, "I love the smell of napalm, in the morning. いつしか南軍、北軍を無作為に攻撃し始め、また米軍以外にも現地人も登用。 回りくどく恐ろしく描いている。 「ゴッド・ファーザー」シリーズのフランシス・フォード・コッポラ監督が1979年に発表し、カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したほか、膨大な製作費や過酷な撮影環境、CGなしの壮大なスケールの映像など、数々の伝説を残した戦争映画の傑作『地獄の黙示録』を、コッポラ監督自身が望むかたちに再編集した最終版。, 1979年のオリジナル版より30分長く、2001年に発表された特別完全版より20分短いバージョンであり、IMAX上映に向けて新たにデジタル修復も施された。, 脚本はジョン・ミリアスとフランシス・フォード・コッポラの共同制作。撮影はビットリオ・ストラーロ、美術はディーン・タボウラリス、編集はリチャード・マークスが務め、音楽はカーマイン・コッポラとフランシス・フォード・コッポラが務める。, ベトナム戦争末期、アメリカに一時帰国をしていたアメリカ陸軍空挺将校のベンジャミン・L・ウィラード大尉(マーティン・シーン)は、妻と離婚し、再びベトナムへと戻ってきています。, サイゴンのホテルで指令を待っていたウィラードは情報司令部から呼び出されます。司令部に行くと司令部のコーマン将軍(G・D・スプラドリン)と副官のルーカス大佐から任務を受けます。, その任務は、元グリーンベレー隊長のウォルター・E・カーツ大佐(マーロン・ブランド)の暗殺指令でした。カーツはかつては優秀な軍人でしたが、ダブルスパイをしていたベトナム人4名を殺害した罪に問われ、軍部の命令を無視した挙句にカンボジアのジャングルに逃げ込み、そこで王国を築き、現地人から神として崇められていると聞かされます。, ウィラードは正気を失ったカーツを暗殺するために、海軍の河川哨戒艇でヌン川を上り、カーツの王国へ向かうよう命じられます。, ウィラードは作戦の目的を告げることなく、哨戒艇のメンバーであるジョージ・“チーフ”・フィリップス(アルバート・ホール)、元プロサーファーのランス・B・ジョンソン(サム・ボトムズ)、ソース作りの修業をしていたジェイ・“シェフ”・ニックス(フレデリック・フォレスト)、若兵のタイロン・“クリーン”・ミラー(ローレンス・フィッシュバーン)の四人とともにカンボジア国境付近へと向かいます。, 危険地帯を通過するため、ウィラード一行は“空の騎兵隊”と呼ばれているビル・キルゴア中佐(ロバート・デュバル)に護衛を頼みます。サーフィン好きであるキルゴアは一行の中にランスがいること、ヌン川の下流には良い波があることを知り、依頼を受けます。, そして、サーフィンをするためベトコンの基地を襲撃します。大量のミサイルと銃弾、ナパームによる空爆で一方的な虐殺を行い、その狂気を目の当たりにしたランスとウィラードはキルゴアのサーフボードを盗んで逃げます。, 一行はキルゴアに追跡されつつも、隠れながら川を上流していきます。途中、米軍の関所に燃料を補給する為立ち寄ると、今夜ショーがあるから見ないかと誘われます。そのショーではプレイボーイによる慰安活動が行われます。, ショーに興奮した軍人たちが暴れて舞台に上がり、収集がつかなくなる前にショーは中断されます。, その後、一行は再び川を上流していくとベトナム人の船を発見します。ウィラードは放っておけと言いますが、仕事に忠実なチーフは停船検査を始めます。検査中、ベトナム人女性が壺を隠そうと抵抗したことに危険を感じたクリーンは船に乗っていたベトナム人全員を撃ち殺します。, その壺に入っていたものは子犬でした。チーフは虫の息のベトナム人女性を手当てするために船に乗せようとしますが、その偽善に嫌気が差していたウィラードは女性を撃ち殺します。, 川を進んでいくと、ド・ラン橋の米軍関所にたどり着きます。そこで再び燃料を補給するためウィラードとランスは立ち寄ります。しかし、そこでは指揮官不在の米軍兵士とベトコンとの戦闘が繰り広げられていました。一行はなんとか補給を済ませて先へ進みます。, しかし、ド・ラン橋を超えた先で敵襲に遭います。そこで母からのテープレターを聞いていたクリーンは銃で撃たれ死んでしまいます。四人はクリーンの死を嘆きながらも先へ進みます。, 濃い霧の中、先へ進むとフレンチ・プランテーションを営んでいるユベール・ド・マレ(クリスチャン・マルカン)に出会います。彼らはそこで農園を営んでいてベトコンから家族と土地を守って戦っていました。一行はクリーンの埋葬をしてもらい、ユベール一家と一夜を共にします。, 第一次インドシナ戦争を経験しているユベールは「私たちは負け続けてきた。だからここでは勝つ。私たちは農園を守るために戦っているのにアメリカは何のために戦っているんだ。」と言い、ベトナム戦争の原因はアメリカにあるとウィラードを責めます。, 農園を離れ、先を進むとカーツのいる王国が目前で原住民の襲撃に遭い、投げられた槍がチーフに当たります。チーフはウィラードを睨みつけながら息を引き取ります。, ここまできたら進むしかないとシェフが船を運転します。そして、遂に三人はカーツのいる王国へと辿り着きます。王国ではアメリカ人報道写真家(デニス・ホッパー)が出迎えてくれました。, 写真家が言うには、カーツ大佐は仲間を引き連れてジャングルの奥地へ入っていったということでした。ここまできて帰るわけにいかないウィラードはカーツが王国に帰ってくるまで待つことを決めます。, 一旦船に戻ったウィラードはシェフに「22時までに戻らなければ爆撃を要請してくれ」と頼み、王国内で待ちます。そして王国内で待っているとカーツが戻ってきて襲撃されます。カーツはウィラードが暗殺するために来たことを見抜いており、ウィラードを拘束します。, ウィラードが目覚めるとカーツはシェフの生首をウィラードの足の上におき、ウィラードは叫びます。カーツはその後ウィラードの拘束を解きます。自由になったウィラードはカーツを殺そうとしますが、行動するに至りませんでした。, カーツはウィラードに自分自身が目の当たりにした地獄を語り、「地獄を知らないものに私を殺す資格はない」と告げ、息子に真実を全て伝えて欲しいと頼みます。そして「必要な軍事行動は果断に、無慈悲に、怯むことなくやりとげなければならない」と告げます。, ウィラードはカーツが裏切り者ではなく、誇り高い軍人としての死を望んでいることを悟り、カーツ暗殺を決意します。そして原住民の儀式の日にウィラードはカーツを暗殺します。カーツは抵抗なく受け入れました。, そしてウィラードはカーツの手記を持ち、ランスと共に船に乗り川を下ります。軍からの連絡が無線に入りますが応答することなく進んでいきます。, 映画『地獄の黙示録 ファイナルカット』はデジタルIMAX規格に編集され、巨大なスクリーンに映されることでベトナム戦争の狂気を観客に体感させる作品となっています。, そしてフランシス・フォード・コッポラの代表作『地獄の黙示録』はストーリーの難解さとその撮影規模の大きさゆえに、公開当時から現在にかけてまで様々な物議を生んでいます。, 映画『地獄の黙示録』の脚本に影響をうけている文学作品としてコンラッドの『闇の奥』、T・S・エリオットの『荒地』『うつろな人々』、聖杯伝説、フレイザーの『金枝篇』などが挙げられます。, 『風とライオン』『ビッグウェンズデー』のジョン・ミリアスが初めに脚本を書き、その後コッポラ自身が撮影と並行してアドリブで次々と書き換えていきます。その為元々の脚本とは大きくかけ離れており、それゆえに莫大な製作費と時間が費やされることとなります。, 撮影が延びていく中で台風が直撃し、セットが壊れたり、予算が底を尽きてしまいエキストラが集まらなかったり、さらにはカーツ大佐役のマーロン・ブランドが太っていた挙句に原作である『闇の奥』も読んでいなかったなど様々な問題が起こります。, コッポラはその想定外に振り回されるたびに脚本のリライトを繰り返し、拷問のような自己葛藤に苦しんだ末ある種の出口を見つけます。それは「良い映画監督はアドリブで現場に合わせて良い画を撮る。」「ベトナム戦争そのものが矛盾であるため、脚本に矛盾がつきまとうことは当たり前。」ということです。, その気付きにより、台風によって破壊されたセットを“嵐で不時着し、動きが取れなくなった”という設定に変更し、エンディングにおける本物の山岳民族であるイフガオ族の祭りと本物の水牛を儀式的に屠る場面など、偶然的に撮られたシーンを使うことで、“王殺しによる王位継承”を上手く編集し、繋げることで描いています。, 特にウィラードがカーツを殺すことを決意して原始的な沼から頭を出すシーンは、思いつきからたった三時間で作られたシーンだそうです。, フランシス・フォード・コッポラの配偶者であるエレノア・コッポラ夫人は『地獄の黙示録 撮影全記録』で次のように語っています。, 「成功せねば全財産を失うというプレッシャーからウィラード大尉だったフランシスが、いつの間にかカーツ大佐になっていた。」, この言葉から映画『地獄の黙示録』の撮影現場も地獄絵図となっていたことが想像できます。, その苦難と葛藤からコッポラが考え抜いた本作はストーリーの難解さも見どころの一つにあります。, 本作のウィラードが書類上のカーツを探す旅は“自己を探究する道程”のメタファーになっています。つまり地理的にカーツに近づくにつれ、様々な地獄の情景を目の当たりにしたウィラードがカーツに同化していき最終的に“父殺し”として乗り越える旅でもあります。, コッポラがこの映画の主題として置いたことは“人間社会、あるいは人間の欺瞞を暴くこと”にあります。, 見境なく村人を虐殺した挙句に治療する、ハラワタが出るまで戦ったから水をやるといって水筒を差し出す、機関銃を浴びせた女性を手当てするといった様々な偽善がウィラードの前で行われます。それを目の当たりにしたウィラードは偽善に対して嫌気がさし、脱走したカーツに共感し始めます。, それを象徴する台詞として作品の中で「なぜキルゴアがやっていることは許されて、カーツがやっていることは許されないのか」という台詞があります。, 現実では1970年に「カンボジア侵攻作戦」が起き、アメリカがカンボジア領に攻撃を始めます。つまりカーツが行ったことと同じことを現実にアメリカ軍はしているのです。, その侵攻作戦には大義名分などなく、ただ作戦上必要だから行われたのですが、それはカーツの論理である“必要な軍事行動は果断に、無慈悲に、怯むことなくやりとげなければならない”ということと全く同じなのです。, カーツに共感していくなかでウィラードは、その偽善が剥ぎ取られた裸の戦争の論理そのものであるカーツを目の当たりにしたとき、カーツは共感できるものではなかったのです。, カーツ自身もまたニヒリズムと自己神格と原始的本能というもうひとつの偽善に塗り固められた存在だとウィラードは知ったのです。そして、子が父親を乗り越えるように王の持っていた論理(原始的本能)を乗り越え、道徳的判断によりウィラードはカーツを殺すことを決意します。, 最後はイフガオ族の儀式に使われる水牛がカーツのいる祭壇の階段を降りていき、儀式と同時にカーツと水牛が殺されます。, このようにして、コッポラはベトナム戦争だけではなく大義名分のない戦争やテロリズムに対する一つの解を提示したかったのかもしれません。, またこの映画『地獄の黙示録 ファイナルカット』IMAX版では、最後に寺院爆破シーンがないものになっています。寺院爆破シーンは画として美しく素晴らしいものではありますが、コッポラ自身が寺院爆破シーンは原住民の殺戮を意味している場面であり、描きたかった主題とは違うものになっていると言っています。, 本作は映像がとても綺麗に修復されていて、迫力ある音響と合わせることで、ベトナム戦争の地獄を観客に体感させる映画となっていました。確かに上映時間が長く、難解ではありますが、大きなスクリーンで見るべき作品でしょう。, 映画『地獄の黙示録 ファイナルカット』IMAX版はコッポラのセンスある編集とリアリズムあふれる映像美、そして緊張感溢れる映画体験を与えてくれる作品となっています。, そして『地獄の黙示録』という映画は、この記事だけでは語り切れないほどの素晴らしい重層構造や演出、編集、テーマがあります。本作を鑑賞することで色々と考察してみても面白いでしょう。, Tags : アメリカ映画 / KADOKAWA / 1979年公開 / 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コッポラはベトナム戦争だけではなく大義名分のない戦争やテロリズムに対する一つの解を提示したかった, センスある編集とリアリズムあふれる映像美、そして緊張感溢れる映画体験を与えてくれる作品, 『罪の声』小説あらすじネタバレ。犯人9人は映画化キャストで誰になるのか⁈【予想解説】, 『ミッドナイトスワン』小説と映画の結末の違いをネタバレ考察!ラストまで続く内田英治監督の細かい心理描写|映画という星空を知るひとよ30, 映画『罪の声』ネタバレあらすじと感想レビュー。実在の未解決事件の真相を解き明かすミステリー!, 『きみの瞳が問いかけている』ネタバレ感想とラスト考察。映画は横浜流星のキックボクシングに魅了される, 映画The Witch魔女|ネタバレ感想。ラスト結末までノワール・SFサイキック・バイオレンスが作り込まれた秀作, 『さくら』小説ネタバレと結末までのあらすじ解説。西加奈子原作の一匹の老犬が見守る家族のヒストリー|永遠の未完成これ完成である16, 『来る』ネタバレ感想と考察。ホラー映画に登場したアレの正体を解説【オムライスのくにへいってみたいの意味も】, 映画『ばるぼら』あらすじと感想。二階堂ふみがヌードの濡れ場で稲垣吾郎を相手に手塚漫画に挑む|TIFF2019リポート23, 『朝が来る』原作小説ネタバレと結末までのあらすじ。映画で母としての女性の生き方はどう描かれるか考察|永遠の未完成これ完成である7, 『ミッドナイトスワン』ラスト感想と評判解説。最後の海で世界へと飛び立っていく“二人”の美しい白鳥の姿. 圧勝に思えたが、民間人を利用した自爆攻撃に手をやいたキルゴアは、 ・逃亡者 ID: IM74fuSnQd, 2020/04/01(水) 10:20:07 映画ガイドとしてご利用ください。 ・イージー・ライダー

・映画の美術面 10/10 ベトナムの先のカンボジアでカーツ大佐は、これまで米軍の作戦に従事していたのだが、 華々しい経歴を持つカーツが狂ってしまった経緯についてとても惹かれるのだった。, ウィラード大尉はジョージ・フィリップス曹長が指揮する 『地獄の黙示録』(じごくのもくしろく、原題:Apocalypse Now )は、1979年公開のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラによる戦争映画。ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作に、物語の舞台をベトナム戦争に移して翻案した叙事詩的映画(エピックフィルム)。, 1979年度のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得。アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。それ以外にもゴールデングローブ賞の監督賞と助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞、英国アカデミー賞の監督賞と助演男優賞などを受賞している。, 日本では1980年(昭和55年)2月23日に公開された。2001年に、コッポラ自身の再編集による『特別完全版』(英語版)が公開された。2019年4月28日、公開40周年を記念してトライベッカ映画祭において『地獄の黙示録 ファイナル・カット』(Apocalypse Now Final Cut)が上映された[3]。このバージョンは同年8月15日にアメリカの劇場で一般公開され、8月27日にはホームメディアが発売された[4]。, 1969年、ベトナム戦争後期。アメリカ陸軍空挺将校のウィラード大尉は、妻と離婚してまで再び戦場に戻ってきた。彼は、MACV-SOGの一員として、CIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事してきた経験が豊富だった。その実績を買われ、サイゴンのホテル滞在中にアメリカ軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺指令を受ける。カーツは、アメリカ軍の命令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。, ウィラードは海軍の河川哨戒艇に乗り込み、乗組員に目的地を知らせぬまま大河を遡行する。そして一行は戦争の狂気を目の当たりにする。サーフィンをするために、ベトコンの前哨基地を襲撃する第一騎兵師団の指揮官。ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ。指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士。そして、麻薬に溺れ、正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。やがてカーツの王国に近づくにつれて、ウィラード自身も少しずつ心の平衡を保てなくなってゆく。, 哨戒艇の乗組員を何人も失いながらも、何とか王国にたどり着いたウィラードは、王国の支配者カーツと邂逅し、その思想や言動に動揺する。一時は監禁されたものの、改めて自由を与えられたウィラードは、水牛を生贄にする祭りの夜にカーツの暗殺を決行する。, 作品序盤におけるウィラードの独白から、本作品は、ウィラードの任務での体験とカーツに纏わる物語を紡いだ構成となっている。, 映画の原案は、1902年に出版されたジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』(原題:Heart of Darkness )である。当初は、1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが共同で進めていた企画であった。しかし、当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。後にルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するにあたり、作品の権利をフランシス・フォード・コッポラに譲り渡したのが始まりである。, コッポラは映画化にあたり、『闇の奥』以外にもさまざまな作品をモチーフにした。映画中でT・S・エリオットの『荒地』(原題:The Waste Land )や『うつろな人間たち』(原題:The Hollow Men )の一節が引用されたり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(原題:The Golden Bough )から「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用[5] されるなど、黙示録的・神話的イメージが描かれている。この他、監督の妻エレノアの回想録によると、コッポラは撮影の合間、しばしば三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取り、本作品の構想を膨らませたという。, コッポラは、映画の製作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していた。しかし、契約の関係で実現には至らず、結局監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。このあたりの事情は、『地獄の黙示録 特別完全版』 サウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている[6]。, ウィラード大尉は、当初ハーヴェイ・カイテルが演じる予定だったが、撮影開始2週間で契約のトラブルが原因[7] で降板した。これ以降、カイテルはハリウッドを干され、インディペンデント映画中心に活躍することになる。その後、ハリソン・フォードの起用も検討されたが、『スター・ウォーズ』の撮影との関係により、最終的にマーティン・シーンに落ち着いた。なおフォードは、撮影の見学に来たときに端役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっている。, 報道班ディレクターとしてフランシス・フォード・コッポラが、報道班カメラマンとしてヴィットリオ・ストラーロがカメオ出演している。また、ヘリコプターの操縦手をベトナム戦争で従軍経験があるR・リー・アーメイが演じている。, 「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」役は、実際の1974年プレイメイト・オブ・ザ・イヤーであるシンシア・ウッド(英語版)、「ミス8月」役は実際の1976年8月プレイメイトであるリンダ・ビーティ(英語版)である。また、「ミス5月」役のコリーン・キャンプは、映画封切り後に1979年10月の『PLAYBOY』誌で写真を発表した。彼女らプレイメイトによる慰問公演の司会者は、1960年代からロック音楽のプロモーターとして活躍していたビル・グレアム(英語版)が演じている。, ロケは、アメリカ合衆国とベトナム社会主義共和国との国交がないため、フィリピン共和国の熱帯雨林で行われた。また、アメリカ合衆国軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは、全てフィリピン軍の協力に拠った。しかし、当時のフィリピンは、フィリピン共産党ゲリラ「新人民軍」との内戦や南部イスラム教住民「モロ民族解放戦線」の反乱に直面していたため、実戦出動によって、ヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れることもしばしばであった。, 途中、フィリピンを襲った台風によりセットが全て崩壊したことも撮影スケジュールの遅延に影響した。この時の台風の模様は撮影され、ストーリー上急遽役割が与えられた。フランス人入植者たちのエピソードのように、莫大な費用と期間を掛けて細部まで拘りぬいた撮影が行われたものの、劇場公開版からは最終的に削除されてしまったシーンも数多く発生した。以上のような要因で、映画の撮影期間は予定を超えてどんどん延びていった。, コッポラは、キャスティング面でも多くの困難に対処する必要に迫られた。当初ウィラード大尉を演じる予定であったハーヴェイ・カイテルは、撮影開始2週間で降板し、新たに起用されたマーティン・シーンも、撮影途中の1977年3月5日に心臓麻痺で倒れ、一時生死の境をさまようほどの状態になってしまった[8]。報道写真家役のデニス・ホッパーは、麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。, 出演者のサム・ボトムズによると、撮影中、麻薬中毒兵士の役づくりのため、実際にマリファナやLSDを使っていたという。すると次第にスタッフも使い始め、橋での撮影は夜間撮影だったので、興奮剤のスピードを使っていたという。, それ以外にも、主演のマーロン・ブランドが撮影当時極度に肥満していたため、物語の設定を一部変更する必要が生じたこともあった[9]。また、ブランドは、キャスティングや脚本に対して自己中心的な主張をすることも多く(役作りにより体から強烈な臭いを発していたデニス・ホッパーと一緒に撮影されることを拒否した)、遂には監督であるコッポラが心労で倒れる事態にまで陥ってしまう。トラブルは以降も続いたため、ストーリーも大きく変更され、後に脚本担当のジョン・ミリアスが不快感を表明するに至る。, マーティンは、拳で鏡台を叩き割るシーンで、切傷を負って流血した。これは、台本にない完全な事故であったが、本人がそのまま撮影を続行するようにスタッフを促し、本編においてドアーズの「ジ・エンド」がBGMとして流れる場面に使用された。, 制作発表時、ベトナム戦争やアメリカ及びアメリカ軍を批判的に扱った最初の映画として物議を醸したが、スケジュールの遅延やキャスティング面でのトラブル、コッポラの完璧主義によって、撮影と編集が異常に長引いてしまった。撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月から1977年5月)にも延び、編集にも2年余りの時間が掛けられた。同様にベトナム戦争を題材にし、この映画の後から制作が始まった『ディア・ハンター』の方が先に公開されたほどである。, 撮影終了後の1978年1月、制作会社のゾエトロープ社は作家のマイケル・ハーに電話し、ハーの『ディスパッチズ』(1977年)に基づいたナレーションを書いてもらうよう依頼した。ハーは、自著に書かれた言葉など「まったく使い物にならない」と答え、それからコッポラと共に1年かけて最終稿を完成させた[9][10]。, 映画の完成が遅れるに伴って、映画の制作費も当初の予定を大幅に上回る結果となった。最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際に掛かったのは3100万ドル(約90億円)だった。そのうち、1600万ドル(約46億円)は、ユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は、日本の配給元でもある日本ヘラルドから支援されたともいわれる。, コッポラの妻エレノア・コッポラは、後に撮影手記『ノーツ - コッポラの黙示録』を出版した。また、彼女が撮影の舞台裏を撮影したビデオや録音テープにスタッフ、キャストへのインタビューを加えたドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse )が1991年11月に公開された。当時の制作現場が、いかに「戦場」のようであったかが窺える記録映画となっている。, 北米で一般公開されたのは同年の8月15日である。映画製作中には様々な困難があったにもかかわらず、公開後全世界で大ヒットを記録し、巨額の制作費を無事回収することが出来た。1979年のカンヌ国際映画祭で未完成のまま出品され、『ブリキの太鼓』と共に映画祭の最高賞に相当するパルム・ドールを獲得した。授賞式の会場では、審査委員会の判断を批判するブーイングもあったという[11]。批評家たちからは映画の内容を巡って様々な評価が下された(詳細は後述)。, 2001年には、53分の未公開シーンが追加された『地獄の黙示録 特別完全版』(原題:Apocalypse Now Redux )が公開された。この特別完全版では、台風により不時着したヘリコプターと、それに乗っていたプレイメイト達の幕間劇、フランス人入植者たちとの交流のエピソードなども復元された。解説的なナレーションが増えたわけでは無いが、全体的にアメリカ合衆国の偽善や欺瞞を告発するような場面が増え、初公開版とは大きく印象が異なるものとなった。例えばフランス人入植者たちとの会食の席で、ウィラードが「ベトコンを創り出したのはアメリカ人」とその由来を知らされ、愕然とするシーンなどである。, 特別完全版のプレミアは初公開時同様、カンヌ国際映画祭で行われた。特別完全版の公開に時を同じくして、アメリカ合衆国はターリバーン勢力の殲滅を名目に、アフガニスタン侵攻を開始。ターリバーンの母体となったムジャーヒディーンを、冷戦中にアメリカ合衆国が支援していたといった事情を考慮し、日本の配給会社によって「コッポラは『地獄の黙示録』でアメリカ同時多発テロ事件を予見していた」という根拠のない内容の宣伝もされた。, なお、特別完全版の日本版予告編でのキャッチコピーは「これはコッポラが産んだ生きものだ」「本物にして最後の映画。アメリカ映画史上最高の傑作。」「戦争。アメリカ。」である。, 『地獄の黙示録』は、公開直後から映画に対する賛否両論が噴出した[11]。映画評論家たちの間では、「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。作品としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ人に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」と結論付けた[要出典]。また、立花隆は、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいると述べた[12]。, 公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという村上春樹は、評論『同時代としてのアメリカ』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」[13], 映画の冒頭は、ドアーズの「ジ・エンド」をBGMに、ベトナム戦争を象徴する兵器であるナパーム弾が全てを焼き払うかのような映像シーンである。そして、ウィラードがカーツ殺しに至るシーンで流れているのも、やはり「ジ・エンド」である[14]。この他にも、キルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの「ワルキューレの騎行」をオープンリールで鳴らしながら、9機の武装したUH-1ヘリが、南ベトナム解放民族戦線の拠点であるベトナムの村落を攻撃していくシーンなど、さまざまな意味で話題となったシーンは多い。また、既存の文学作品や映画作品からモチーフを借りた場面も多く、これらのシーンについて、多様な解釈が公開当時から行われていた[15]。, 映画中では、アメリカ側におけるベトナム戦争のいい加減さを強調し、歴代アメリカ合衆国大統領(ジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソン)により拡大した、ベトナム戦争に対するアメリカ合衆国連邦政府への批判がみられる。例えば、サーフィンをするためにベトナムの村落を焼き払うヘリ部隊の指揮官、指揮官不在で戦闘をする部隊といった描写である。上記のように、本作品は、ベトナム戦争の暴力や狂気を強調し、アメリカ合衆国のベトナム戦争への加担を暗に批判したという点で評価される面がある。その反面、戦争の暴力や狂気をテーマとしながら、それらを視覚的に美しく描くことに成功しているという評価もなされている[16]。, 公開当時は否定的な意見も多かったが、現在ではアメリカ映画史上重要な地位を占める作品であると概ね肯定的に評価されている。1998年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ『アメリカ映画ベスト100』中第28位、2007年に更新された『アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)』中第30位にランクインした。2000年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。IMDbによる人気投票でも上位にランクインされている[17]。また、キルゴア中佐の台詞である「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」("I love the smell of napalm, in the morning.

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