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先日知人の方に、銀座のお鮨屋さんに連れて行って頂いた。

特別な印象はないが、清潔な空間で無駄がない。

寿司を握る職人さんの手の動きや

包丁さばきもしなやかで、

終始一貫流れるようだった。

              写真:東京カレンダー より

特に1人の職人さんが最小の動きで

全てが綺麗に仕上がっていた。

 漬け場はピンと張った清潔感があり、

皿やお椀も繊細で、日本人で良かったと感じる。

締めのお菓子も、

老舗和菓子屋で桜の季節を満喫しているような

素晴らしいものだった。

そこでたまたまその時そこに

居合わせた方達と共感し、

通じ合うようなものを感じた。

チリ一つ落ちていない清涼な場所で、

職人が丹精込めて作る美味しい鮨は魂が宿り、

食べる側も姿勢を正して、

大事に頂く心構えが自然と出来る。

 

そして、こんな時確信する。

やはり『氣』というものは見えずとも

私たちが確実に発していると。

 

仕事柄、どんな店もそうだが

その中に入った瞬間に

その店の雰囲気をパッと感じて掴める。

これは言葉にできない、

肌から入ってくる感覚言語とでもいうものだ。

外から見ていて素敵なお店でも、

扉を開けて中に入った瞬間に妙な熱を感じたり、

空気の澱みを感じたり、

ポカンと空洞のような居心地の悪い場所がある。

そんな時は無理せずその場を後にする。

 

和食は日本人の民族食、

私たちは母の手料理でこの肉体と精神を

成長させてきたわけだから、

血肉となっている。

語らずとも感じる五感を駆使して、

美味しいものの氣を取り入れて

自身からもいい氣を発したい。

 

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