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今から約30年前、

仕事でウラジオストクとナホトカを訪ねた。

ソ連がロシアになった直後に展示の作業で出掛けた。

当時はマフィアが居て

安心して出歩けないと言われたので、

ロシア人通訳の男性に誘導されて食事や買い物をした。

夕飯時、100席程のレストレランで

コースの食事をとったが、

太くて大きい胡瓜が出てきたこと以外

あまり覚えていない。

途中、トイレに行きたくなり

薄暗い地下通路を歩いて行くと、

洞窟のような湿度を感じた。

足音が響き渡る中進んで行くと、

数人の外人女性がいて

その先に開口部が見えた。

“トイレに並んでいるの?”と話しかけると、

“ここがトイレなんて信じられない!どうしよう…”と言うので

音のする方に近づくと、もそっとした密度を感じた。

ピタピタ音は、トイレから内容物が溢れていた音だった。

そこは扉もなく、便器だけが置かれて

水栓も見当たらなかった。

あまりの状況に

どうしたらいいか悩みつつも

体の方が大事なので、外人女性たちと協力して

男性が来ないか見張りながら用を済ませた。

 

時が経つにつれ、他を押しのけて、

この記憶が大きくなって行く。

チェルノブイリ事故から5〜6年後でもあり、

そのトイレは未来を不安に思う

ロシアの姿だったのかもしれない

 

 邪気を放つような状況は、

私たち人間が作った結果だ。

排泄の場だからこそ、

最後まで責任を持って綺麗にすることで

いい巡りが循環される。

日本でこのような状況はあまり想像できず、

ロシアも今ではそんな場所はなくなっているかもしれないが、

どの場所にも敬意を持って接することの大事さを

教わる事例のひとつだ。

自分の健康を守ってくれるトイレに

感謝の気持ちを抱きながら掃除をすると、

それが返ってくる。

そう決めると不思議なことにそうなってゆくから、

試してみてほしい。

 

 

 

 

 

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